真面目な記事が多くスパイスが今一つな感じが否めないのでここはアンダーグラウンドな記事を。
世は正に携帯ゲーム戦国時代な話で、他のゲームハードにも多大な影響を及ぼしたPSP改造の歴史を記していく。
かなりグレーなお話で、使い方によっては法を犯す危険な領域。故に改造を推奨する記事ではないので、その辺りを理解できる”大人”な皆に読んでほしい。
そもそもPSPを改造することとは?
今更ハウツーを書かなくてもいい気はするがとりあえず。
改造とはよくあるセーブデータ改造やチートツールではなく(厳密にはこれもできる)、本体のソフトウェアを非公式なものに書き換えて本来出来ない操作や起動できないフリーソフトを自在に使えるようにしたもの。
PSPの他にもDSやPS3、Wiiも改造できるハードウェアとして知られ、身近なところではスマホも可能らしい。俗に言う”脱獄“ってやつだ。
勿論メーカーのサポート外になるので故障したら自己責任で起動しなくなる”文鎮化”の危険性も隣り合わせだ。
では何故そこまでのリスクを負って改造する人が日本中にいたのかというと……
コピーゲームの起動が可能になる。
勿論これはブラックな領域……つまり法に触れる行為である。しかし手持ちのゲームをディスクレスで遊ぶと言えば音楽プレイヤーにCDの楽曲を入れるものに近い…。そんなヤバい世界の話だが今回は敢えてその歴史について深掘りしていこう。
公式ファームウェア1.0~2.01
時系列で公式ファームウェアを列挙していくこととする。まずはハードウェア側(後に解説)から脱獄する前の時代について語る。
1.0
記念すべき最初の公式ファームウェア。勿論ハードはディスクトレイが暴走しがちなPSP-1000。
未署名のフリーソフトが容易に起動できてしまう脆弱性を持っており、そこに目を付けたディープなハッカー達が改造に着手し始めた。2005年初頭にして既に戦いは始まっていた。
とはいえこのバージョンは日本のみでアメリカ出荷分は次のFWを載せて売られていた。
1.5
記念すべきアップデートで1.0の脆弱性を”そこそこ”潰したもの。
とは言え1.5→1.0に容易にダウングレード出来る方法が存在しており、まだまだ本腰を入れた対策とは言えない。というかこの1.5でも自由度の高さ確認出来てから、しばらくは1.5へダウングレードすることが基本となった。この頃は改造の認知度自体とても低く、某マニアックなガジェット系の本が取り上げている程度だった。
むしろPSP自体持っている人が少なく、お金持ちかゲームマニア位しか所有していなかっただけに当然と言えば当然か。
ソニーは本体を1.5以下に出来ないようにした本体を出荷する等して対策をした。生産ロッドがいつの物なのか確認する輩が増えた事からもそれなりの効果があった模様。
2.0
2005年夏ごろに出されたバージョン。大がかりなアップデートで動画周りの利便性向上にwebブラウザ実装、無線LAN周りの強化と、ポータブルゲーム機の中ではかなり先進的な進化を遂げていることがわかる。
取り分け動画プレイヤーとしての進化は著しく、PCを持たぬ民にとってはこれが唯一の動画視聴マシンになりうる十二分の柔軟性があった。最もPC無でどうやって動画を取り込むのだという話でもあるが……
この頃から各種ソフトメーカーの参入も目立ち始め、マニアック路線を中心にジワジワと勢力を伸ばすこととなる。しかし対抗馬であるニンテンドーDSの勢いは凄まじく、どうぶつの森・マリオカート等のキラータイトルを続々と投入しており、その勢いたるやまさに飛ぶ鳥を落とす勢い。
素のスペックこそ勝っていても、それが≠覇権ハードとは限らない呪い縮図はすでにこの頃より如実に表れていた。
でvsハッカーはというとそれなりに効果は発揮していたものの、あの手この手でセキュリティホールを突く手段が発掘されていた。後に改造界隈では超大物となったDark_Alex氏もこの頃より頭角を現し始めたいた。
公式ファームウェア2.5~3.5
脱獄シーンが目まぐるしく変化していった時期。1.5へのダウングレードが絶対的な脱獄ルートであったこれまでと変わり、公式のファームウェアを活かした第2の脱獄がそのベールを脱いだ。
2.5~2.71
マイナーなアップデートで機能面の進化の陰にソニーvsハッカーの闘いが行われていた。(因みにハッカーと言うとサイバー・悪の化身だと思われがちだがそれはクラッカーな。)
TA-082という基盤側で対策した本体が出荷され市場に出回りはじめていた為、この頃より起動不可能個体……俗に言う”文鎮化”させてしまった人も散見された。非常に高価なゲーム機を何とか中古で手に入れてつい魔の手に乗って、悲劇を起こした全国の改造キッズがいたと思うと何とも言えない気持ちになる…。勿論自己責任だから悪いのはただただ本人だが。
そしてPSPよって後にスターダムへとのし上がったタイトル、モンスターハンターポータブルがジワジワと売れ始めていた。私もそれから参戦した一人であり毎日狂うほど狩りを楽しんでいた。
海外版のGTAからセキュリティホールを突く脱獄方法を取り、それが可能だったのが2.71までだ。加えてとあるtiff形式の画像ファイルを本体から読み込ませるとフリーズを起こし、そこを起点に1.5にダウングレードさせるとんでもない脱獄方法まで発見され、改造界隈はより一層の盛り上がりを見せていた。
しかし残念、TA-082 オメーはダメだ。
2.8~3.5
tiff画像のダウングレードを完全にシャットアウトした2.8。コピーゲームは勿論、PSNの接続もあってよりセキュリティ面に厳しくなり始めた感があった。
FW3.0ではPS3との連動が目白押しされ、公式FWであるメリットは十分あった。(最もPS3はとてつもなく高価だったので恩恵をこの時受けられたのはごく少数)
動画・音楽再生プレイヤーとしての習熟もあってか、電車内の暇つぶしにしているおじさんもチラホラいた。とはいえ2000年代後半はポータブル音楽プレイヤーの進化も凄まじく、今でこそ国民権を得ているApple……のiPodや同じソニーの家紋を付けるウォークマン存在もあってか、音楽プレイヤーとしての立ち位置を確立する程ではなかった。
本来PSPはゲーム機なのでこの領域は守備範囲外だと思われるが、プレステ・PS2のメディアプレイヤーとしての成功から黒物家電全体で覇権を握ろうと画策しているソニーの思惑がヒシヒシと感じられた。やろうとしていることは今でいうAppleと同じだが、時代が早すぎた……。
ダウングレード……基改造界隈ではルミネスというソフトのセーブデータを利用した脱獄が発見され…..
FW3.5→1.5までダウングレードが可能になったのだ!
GTAと違って海外版を手に入れる煩わしさがなく日本で売っているソフトで実現可能になったことは非常に大きい。
とはいえルミネスの中でも対策版が存在したり、TA-082以降の本体はダウングレードしたら一方通行で最新のFWに戻せない等これまで以上に改造に対するリスクは高まっていた。それでも異常な熱の高まりは抑えきれなかった大きな要因があった。
それは……カスタムファームウェアの台頭である。(後述)
公式ファームウェア3.51~5.70
カスタムファームウェアの暗躍によって1.5ダウングレードを完全に過去のものとしていた時期。本体に2000が追加され、それによって脱獄ルートも多様化し始めた。というかハード側で強引に脱獄防止を図るモデルとして登場した節が強い。
ハッカーとのいたちごっこだけかと思いきや、黒物家電としての利便性・多様性をここにきて高めたソニーの強さが感じられた時期でもあった。
3.51
遂にルミネスのセーブデータを利用したセキュリティホールも対策された3.51。改造ルートがジワリジワリと潰され安寧の日々を送ることを想像していたメーカーサイドはこの後の事件を知る由もないのである。
3.52~3.96
XMBにカスタムテーマを導入できビジュアル面が進化した。
動画・音楽周りのユーザビリティもますますの進化を見せたことに加えて、ワンセグにも対応した(PSP-2000のみ)。これは視聴だけに留まらず録画機能も後に追加されたことを鑑みるとソニーのポータブルゲーム機への強い思いが感じられる。
それだけに終わらずインターネットラジオも使えるようになり、マルチメディアプレイヤーと名乗っても遜色ないレベルまで成熟した。
PS3との連携も強化されつつ、Skypeまでもが使用可能になりゲーム機としても着実に進化していった。
4.0~5.05
前述したワンセグ録画機能の追加と強化・インターネットブラウザの検索機能追加。そして4.20はPSP-3000モデル初期搭載のファームウェアだ。つまりあの美しい液晶画面で
- ゲーム(PSP)
- ゲーム(PS1)
- リモートプレイ(PS3)
- 音楽再生
- 動画再生
- ワンセグでテレビ視聴・録画
- インターネットブラウジング
- インターネットラジオ
- Skype
を楽しめるようになったということ。これらは前述してきた通り少しずつ追加・改良されてきたものであるが、ハード側では2000で軽量化・各種周辺機器への対応、3000では更なる美しさを手に入れ、双方の進化によってポータブル機器としての完成系となったのだ。
とはいえ、これら機能を活かして遊ぶ人はあまり身近にいなかった。PS3を前提としており、所有している家庭がまだ少数であったからか100%全てを引き出すことは出来ていなかったと思える。
5.00~5.70
遂にバージョンも5系統に差し掛かったわけだが、主に進化したのはPlaystationNetwork回り。まず無線LANで直接PSNにアクセスできるようになった。ブラウジングも強化されネットワーク面の進化が目覚ましい。
XMBのデザイン・ユーザビリティ回りも進化し、PS3や後のPS4の基礎は既にこの頃のPSPによって完成していた。
メモリースティックの大容量化が進んでおり、それに対応するための軽微なバグの修正もあったようだ。メモステが高すぎて当時そんなことに気づかなかった……というかこのメモステの存在もPSPの失敗と言えるが…。
ソフト面はというと当時PSP=モンハンと言えるほどまでに人気を高めた「2ndG」が大流行(売上400万本)しており、無印Pと2ndから続いた人気は後発の3rdまで右肩上がりに伸び続けるわけだ。その他にもモンハン以外で唯一ミリオンを達成したFF(ディシディア)や携帯機としては図抜けたグラフィックを有するGranTurismo、メタルギアにガンダムと粒ぞろいとなっている。
周囲を見渡しても、PSPの所有率は以前に比べても格段に上がっていたし、店頭の品切れ札もよく見かけた。その割にミリオン達成タイトルが5本とは……これ如何に。
因みにとても影が薄いPSPGoだが、5.70を搭載して出荷されている。触れたことがないので、実は今結構欲しいハードの筆頭なのだ……シュッてスライドしてみたい。
6.00~6.61
PSPのソフトウェアとしては最終盤になった6系統バージョン。やたらと軽微なバグ修正・安定性向上を謳ったアップデートが目立った。
ソフト側では各社主力タイトルを並べるなどその充実っぷりはゲーマーとして嬉しかった。The 3rd Birthdayは結構気に入っていて、この間買いなおして遊んでいるのはここだけの話…。
それに際してアップデートを要求されたが、後述するLCFWの登場で脱獄は実にイージーになった。
正直5系統で完成系となったソフトウェアで、大きな変化がなかった6系。なので詳細についてはあえて書かない。のにH2タグで見出しを書いてしまって良いものか……とメタ的なモヤモヤを抱えながら書いています今。
カスタムファームウェアとジグキック
3.02OEシリーズ(CFW)
2.7時代にも存在していたが、3.02をベースとしたカスタムファームウェア(以下CFW)のユーザビリティが高く、各種禁断の領域に大きな恩恵をもたらしていた。CFW界隈の熱気は凄まじく、CFWでもマイナーアップデートが行われるなどソニーvsハッカーの闘いはがっぷりよつ。
フリーソフト・コピーゲームの起動は元より、ゲームの裏側やソフトウェア根底の機能を変えてしまうプラグインの登場など留まることを知らない感じだった。3.02OE-BというverではPCで自炊したPS1のソフトをPSPで起動させる(かなり高いレベル)など、最早「それ公式を超えてね……?」ってレベルまできていた。もっともこれはPSN経由でPS1ゲームを買って遊べる公式側の機能に乗っかったようだが…。
非公式のソフトの進化も凄まじいがソニー側の対応も半端なく、完成度の高いダウングレーダー公開翌日に対策FWをリリースするなどゾッとする領域であった。正直ソフトウェアエンジニアのリソースがとてつもないことが容易に想像され、会社が傾いた要因の一つはPSPなのでは…?と疑うほどであった。
驚異の脱獄ルートを開拓 ジグキックバッテリーの登場
幾度となく改造への道を潰しに潰したソニーサイドだが、完全にお手上げの手法が誕生した。
それはハードウェアとして突破口を見出した脱獄方法だ。端的に言ってしまえばリカバリーモードが起動する通常と異なるバッテリーとバッテリーを起点として読み込まれるメモリースティックに改造の為のソフトウェアを仕込んだものだ。
調べると公式サイドでも文鎮化を復活させるために用意した特殊なバッテリーがあり、それが何故か流出したことによってハッカー達がたどり着いてしまった悲劇の瞬間だった。このバッテリーを”パンドラバッテリー”と呼び、メモリースティックは”マジックメモリースティック”とされていた。
マジメモはPCがあれば準備が容易でパンドラバッテリーは改造しているPSPか、海外通販等で製品として非公式に売られているものを入手すれば誰でも容易に脱獄が出来た。
双方を持っている友人がいればそれで可能だし、なんならソフトウェア的に文鎮化したPSPを蘇生することも出来た故にとてつもない影響力を有していた。
が、それが可能なのはPSP-1000と2000の前期型のみであった為、またしても脱獄不可能な民は一定数いた。店頭ではガラスケースの中に置かれていることが多かったPSPだが、何とご親切に箱まで一緒に飾ってあることが多く、側面から品番シールを覗き込んで該当の端末を手に入られる。
1週間もしないうちに街のゲームショップから1000は消え、2000も軒並み消えていたので、世間への脱獄の普及は言うまでもなかった。
また、詳しいことはわからないが中にはバッテリーを分解してハンダごてでパンドラ化させてしまう猛者もいたようで界隈はかつてない盛り上がりを見せた。
このジグキック化の恐ろしいのは死んだPSPを蘇生しつつ、ダイレクトにCFWを導入できたことだ。勿論健康な本体でも可能で、黒い画面に白文字で英語が羅列されFlushが書き換わる瞬間はまさに”イリーガル”の極みだ。
最早こうなってしまうとどの公式・非公式ファームウェアを入れようが、死のうが生きていようがお構いなしに脱獄できてしまうのでソニーもお手上げ感があった。
M33シリーズ(CFW)
Dark_Alex氏がリリースしたCFW。車の名前みたいなネーミングだがこいつが初CFWって人も多いはず。認知度が高く改造しない人もM33という単語を覚えている人もいた。
前述したジグキックバッテリーを用いればあっさり導入できる。本当に敷居の低さが異常だ!海外版GTAを持っていた奴に頼み込んで脱獄していた人の苦労は一体……。
話は逸れてしまったがリリースは3.51時から始まり5.00辺りまで着実に進化していった。3.5x時からリカバリーモード・flushへのアクセス、CPUのクロック数変更、UMD吸い出し機能にUMDドライブ無効化等かなりイリーガルでニッチな領域まで行えた。
終いにはネットワークアップデートの実装などソニーとやってること自体変わらないレベルだ。
flushやNAND、メモリの設定等では不具合が散見されたが、そもそもそこまでディープに弄り倒すマニアは極少数故に、公式にはない利便性が露出しまくる形となっていた。
M33の円熟期にはPSNへのアクセスする為にバージョンチェック回避を織り込むなどネットワーク側にも挑戦した剛腕っぷり。
5.50GENシリーズ(CFW)
M33の後継でCFWの中でも完成度・安定感が高く非常に人気の高かったもの。
基本的に5.00M33をベースとしているが、プラグイン周りも超強力でゲーム中にBGMをかけたりチートコードを使うなど自由自在。
XMBで本体のリカバリーモードにアクセスしてhlz数を弄ったりMACアドレスの非表示化・プラグインの切り替えを行えた。バッテリーのパンドラ・通常化も容易で脱獄の申し子だった。
しかしGEN-D2で起動不可のソフトがいくつかあり、マイナーアップデートしたD3では一部セーブデータの互換がなく破損データ扱いになるなど複合化周りの不具合も見られたが、CFWの出来としては当時右に出る物がいなかった。
素のFWでも携帯ゲーム機としてはある種の到達点まで来ていた為にその完成度の高さも納得のものだ。
公式側もアップデートで脱獄封じを織り込んでいたが、ジグキックバッテリーからの脱獄が強力すぎて対策のしようが無かった様に伺える。ということでソフト側で対応して起動不可にするなどの苦肉の策が目立った時期でもある。
5.50 GEN-D3 Prometheus
GENをベースに一部起動できないソフトを起動可能にしたCFW、通称”プロメ4”。
D3と指して変更点はないが、起動可能になったタイトルに”モンスターハンターポータブル3rd”が存在した。
当時絶頂期にあったモンハンの3rd発売後1週間も経たずにリリースされた。プロメチームは公開しないと明言していたが何故か流出して瞬く間に普及してしまった。
この奇怪なリリースが無ければor遅ければ3rdの売り上げはもっと伸びていたとも言われる程にPSPの改造が身近になっていた様だ。それでも470万本売れた3rdはおかしいが……。ポータブルゲームソフトの王様ことポケモンを王座から蹴落とす最大のチャンスを”ハッカー”の産み出したソフトウェアによって阻まれたものだからカプコンも怒るわけだ。
それでもPSP-2000(後期)、3000ではCFWの導入が不可能で、歯痒い思いをしたキッズもいたとか何とか。
CFWとしての機能性・安定感・拡張性は最高峰で、後に全ての本体を改造状態にしてしまうLCFWの普及を前にしても根強いファンが残り続けたソフトウェアだった。
6.60PROシリーズ
CFW導入が出来ない民…..TA-88v3以降の基盤を搭載した本体の人に取っては渇望していた脱獄環境を擬似的に用意したのがPROシリーズ。
通称LCFWと呼ばれるこいつは電源が付いている間はCFWと同等の機能が使えた。後にこの”電源を切るまで”も解消され常時LCFW状態に出来てしまったがな……。
公式側も6.60までアップデートしていると追加の更新を行うのが難しく、敢えてそこをユーザーにアップデートさせる強制力が薄れていた。
PSPの脱獄が残した爪痕
社会的に問題視されたPSPの脱獄だが、その与えた影響は大きい。
脱獄対策でその身をすり減らされたソニー
幾度となくハッカーの脱獄に対してセキュリティホールを潰す対策を強いられてきたソニー。初めは特定のソフトやセーブデータを対象としていたが、いたちごっこが過ぎてハード側で強引に対策するようになった。
とりわけソフトウェアエンジニアの労力は想像を絶するものだろうし、本来やりたかった機能の追加や熟成も残っていたのでは?と思う。それでも尚、ポータブル機器としてはオーバーテクノロジーな領域まで成長させた辺り、流石は大企業たる強さがあったと今にして感じる。
新しいソフトに対策版FWを置いて、それで遊びたければ”公式の最新FWをインストールせよ”といった対策をとってきたわけだが、それはソフトメーカーが魅力的なソフトを提供出来て初めて成り立つ手法だった。
コピーゲーム問題
脱獄=犯罪の烙印押されがちな一番の問題。所有していないゲームのデータを手に入れて遊んでしまうレッキとした犯罪。
同時期に爆発的な普及を見せたニンテンドーDSでも、マジコンとよばれるSDカードを使ったゲームコピーが横行していた。最もマジコンはかなりヤバい領域で、ディスクを読みこむ時間や痛む心配といった大義名分もクソもない。
マジコンの規制っぷりは凄まじく、店頭での販売が禁止されたり、余剰の在庫を都内の路地裏にてワンボックス車がこっそり捌いているなどの問題も表面化した。ソフト側の対策も中々で、起動できなくなるのは勿論、あえて起動させてコピーゲーマーを物語序盤の船から降りれなくする隠れトラップを仕込んでいることもあったとか。
一方PSPはというと、散々書き尽くした通りコピーゲーム起動の為には本体のファームウェアを改造する必要から本体が起動不可になるリスクと隣り合わせでDSよりも危険性は高かった。それでも何故かPSP本体だけがやたら売れる現象が巻き起こりソニーのお偉いさんがブちぎれてたとか……。
据え置き時代からSwapMagicを使ったコピーやPS2のメモカハック&HDD起動など存在していたがこれほどまでに問題にならなかった。ハッカーの本気っぷりとネットの普及率向上が相まってグッと改造の敷居が下がったことが大きな要因だともいえる。
各メーカーの脱獄対策が強力になる
旧バージョンにダウングレードさせファームウェアを改造したものにされていたが、それは何もPSPに限った話ではない。後継機のPSVitaや据え置き機のPS3に対する脱獄の期待値が高まっており、事実小数だがそれを可能としていた輩もいたとか。
が流石は大企業ソニー。PSPで辛酸を舐めたからか尋常ではない対策っぷりを施していたそうで、PSPに比べて遥かに難しくなっていると聞く。加えてオンラインで常時つなぐことが当たり前となった昨今ではそもそもそういった環境にするのが難しいほど、各家庭のゲーム機とメーカーの距離が縮まっていることも大きい。
そもそもディスク起動自体しないハードが増え、オンライン上で購入したソフトをダウンロードしてネットで認証させ起動する手法が昨今の主流だ。読み込み速度が速く、そして光学機器搭載が不要でディスクを焼いたり問屋を通して店頭に並べて商売する手法自体が古くなってきた。それはゲームに限らないが……。
余談だが、Wiiでも非公式のFWでソフトのディスクをリッピングさせることも可能としていた。
改造によって法の下に裁かれるものが現れる
改造をしていれば倫理や法律と隣り合わせであることはこれまでの記事を読み進めた諸君なら想像は容易であるだろう。
日本では違法ダウンロードの明確な厳罰化が制定されはじめていた。しかし私がここで挙げる逮捕者はハッカーや代行業者・改造ハードを販売したものだ。
有名ハッカーで日本人は殆どいないので身近になったのは改造状態の本体を売った人だろう。個人間ならまだしも、ネットを使って大々的にやっている人がいた。しかし逮捕者が出てからはめっきり減った印象だ。
電子機器を改ざんしたことが発端となって逮捕されることはそれまでほとんど聞かなかっただけにとても驚いたことをよく覚えている。
ソニー公式がPSPを諦めた…?
先ほど書いた脱獄対策の話と被る。
ある程度までは対策を織り込んだ更新をマメにしていた印象があった。だがジグキックバッテリーによる強力な脱獄ルート登場によってその頻度や強さが落ちた印象がある。ハードを起点にしたものは対策のしようがないことがわかるがそれにしても……というタイミングがあった。
強いて言えば、10年選手だったPSPだし後継機の登場に備えている感も否めなかった。ただPSPGo登場を見ると落ち込んだペースに違和感を覚えた。
2010年辺りにその違和感を感じたことをよく覚えている。魅力的なタイトルが増え、所有人口もかなり上がっているので次は更にハードで対策した4000がでるのでは……?と思ったがその気配がなかった。
決定的なのはLCFWの6.60PROだ。公式FWからバッテリー等も使わずにあっさり脱獄できた現状はかなりまずかった。すぐさま対策するのかと思ったがしばらく放置されること約3年。
バージョンの6.61がリリースされた。しかし悲しいことにこれがPSP最後の公式ファームウェアになる。
6.61はあっさり突破され、後に公式ソフトのみ有する認証キーが流出した事件もあって完全に終焉を迎えた。認証キーを埋め込めばどんなフリーソフトも自由に起動できるしな……。
答えを言ってしまえば同年の末に、後継のポータブルゲーム機「PSVita」が登場したので、そこに備えていたのだなと納得できたわけだ。
総括
任天堂も脱獄対策には晩年手を焼いているようだが、如何せん素のマシンパワーが高すぎたPSPは格好の餌食となってしまった。
とらこのマシンにワクワクさせられたし、ゲーム機ひとつであそこまで夢を見せてくれるものがこの先に現れるとしたらその時はまたこうして記事にしよう。